「勝ち戦」と「負け戦」の違い、「学び」の姿勢

学び
 吉田松陰が記した言葉で、孟子の教えを引用したものなのですが、「先生のもとで学ぶときにはまず、心から先生につきたいという真摯な心があって、何を学びたいのか具体化するべきである。先生につくのは、それからだ」という言葉があります。これは、目的意識、目標、自主性、準備への心構えを説いた言葉であります。
 また孫子の兵法には、「勝ち戦というのは、目標達成までの明確なプランを描いて実行するもであり、負け戦というのは、何のプランもなく戦い始め、戦いながら勝利への道を模索するもの」と記されています。とりあえずやってみよの精神じゃあ、そりゃ負けますよと。言っています。

 「行動力」、この言葉は今の現代で最も重要なキーワードの1つとして、存在していると思います。量は質に転嫁する、圧倒的行動を起こしたものが成功をする、まず行動!考えるのはそれからだ!というような言葉がたくさん見受けられます。ん?吉田松陰や孫子の兵法と逆のこと言ってる?と僕は思います。僕自身「行動力」という言葉は好きですし、その行動力という言葉の持つ本質も好きです。実際「行動」に起こした結果、良い成果も受けました。直近では、この1月も自分の「この行動」という明確なものがあり、少し重い腰を上げたことが、1カ月で感謝しきれないありがたいことが起きました。なので、「行動力」は好きですし、行動をしている人はもれなく尊敬します。しかし、行動する前に「明確なビジョン」を持たないと負け戦になる、という孫子の兵法、「何を学びたいかを明確」にしてから学ぶ、という吉田松陰の言葉。やはり相反するように思われます。

 僕が思うに「行動力」のある人は、もれなく「行動しながら、同時に明確なビジョン、プランを構築」していると考えます。歴史上の偉人や伝記上の言葉や記述は、あくまで言葉や記述だけであり、実際の吉田松陰を見たものは1人もいません。そして結果として言葉と記述だけが残ったという事実だと思います。今回の記事は僕の推察及び考察の、主観以外の何ものでもありませんが、おそらく吉田松陰も、ものすごく行動していた人だと思います。そして幕末の時代、日本変革真っ只の中、行動もせず、考えもせず、だらしなく過ごす人への叱責の意味も込めて残したような言葉だと思います。現代でいうと、とりあえず大学行ってから考える、というような行動を全く認めないことだと思います。

 真っ先に行動する、そして同時に明確なビジョンを描いていく、という意志が必要である、という言葉に僕は聞こえます。そして、その「意志の強さ」が成功か失敗か、勝ち戦か負け戦か、につながるということだと思います。

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